中世ヨーロッパ世界の誕生!ゲルマン人の大移動・ノルマンコンクェストとは?

ローマ帝国

紀元前後の古代ヨーロッパ世界はローマ帝国という大国に支配されていました。しかしその実態は、コンスタンティノープルを中心とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)とローマを中心とした西ローマ帝国に事実上分離されていました。ビザンツ帝国は東方との交易で繁栄していましたが、西ローマ帝国はそうでもありませんでした。

ゲルマン人の大移動

このような状態の時に、ヨーロッパ世界には北東から新たな民族の侵入による脅威にさらされていました。ゲルマン人です。元々は現在のドイツの東の方に住んでいたゲルマン民族ですが、さらに彼らも当方からフン人と呼ばれるモンゴル系の騎馬民族に圧力をかけられていました。

フン人は騎馬民族でめちゃくちゃ強かったので、ゲルマン人達は西へ逃げざるを得なくなりました。これがゲルマン人の大移動です。

一方、さらに西ではフン人によって追い払われてきたゲルマン人たちに脅威を感じている人々がいました。それが当時のヨーロッパ世界を支配していたローマ人やガリア人達でした。

ビザンツ帝国はそれなりに繁栄していたので、狙われることはありませんでしたが、すでにオワコン感の出ていた西ローマ帝国は、ついにオドアケルというゲルマン人の傭兵隊長によって滅ぼされてしまいました。これによって西ローマ帝国が支配していたヨーロッパ地方にゲルマン人の国が乱立するようになりました。

ゲルマン人達がヨーロッパ地方に建国した国としては、イタリアにてテオドリック王による東ゴート王国、イベリア半島(現在のスペイン)にてアラリック王の西ゴート王国、ブングルト人による南フランス、フランク人による北フランス、アングロサクソン人によるブリテン島(現在のイギリス)、さらにはアフリカ大陸のカルタゴにはガイセリック王が支配するヴァンダル王国などがありました。

こうしてローマ人によって支配されていたヨーロッパ地方はゲルマン人達が住む地方になってしまいました。ゲルマン人の身体的特徴としては、金髪で青い目の白色人種であることが挙げられます。多くは現在のヨーロッパの国々のルーツになっています。例えば、ブリテン島を支配していたアングロサクソン人は、イギリスのルーツになっていますし、現在のドイツやフランスのルーツにはフランク王国があります。

このように、ヨーロッパに元々住んでいた人々にとってはただの侵略でしかありませんでしたが、ゲルマン人の大移動は結果として現在のヨーロッパ世界を構成する重要な出来事となったのです。

キリスト教

この時代において宗教は国を動かす上でもっとも重要といっても過言ではないくらい重要な要素でした。

先程あげたゲルマン人の国々では、ローマ帝国と同じようにキリスト教を信仰していましたがその宗派が異なりました。ゲルマン人の多くがアリウス派というキリストは人間で神はキリストの体に宿ったという考え方の宗派でした。西ローマ帝国の滅亡後もローマの教会は残っていましたが、ローマ教会はアタナシウス派というキリストは神であり人間であり精霊であるという三位一体説を唱える宗派を正当と認めていたため、ゲルマン人たちと手を組むことが出来ませんでした。

しかしそんな状況の中、自分の国をローマ教会と同じアタナシウス派に変えて、教会と手を組んだ国がありました。それがフランク王国です。

フランク王国

フランク王国は歴史の中でヨーロッパ侵入を目論むイスラム教徒と戦いを繰り広げていました。アフリカ大陸からイベリア半島まで侵入してきたウマイヤ朝というイスラムの国と、フランク王国は732年にトゥールポワティエ間の戦いという激しい戦闘を繰り広げました。

当時のフランク王国はメロヴィング朝という王朝が支配していたのですが、トゥールポワティエ間の戦いの時に活躍したカールマルテルという宰相が、カロリング朝という新しい王朝を作り上げました。

カロリング朝の王であるピピンという王様は、ローマ教会と手を組むことを考えます。しかし、ただでは手を組んでもらえないと思い、当時イタリアにあったゲルマン人の国ランゴバルド王国をボッコボコにして、彼らが持っていたラヴェンナというローマ教会がとても欲しかった土地を差し出しました。これがいわゆるピピンの寄進です。

ラヴェンナ地方をくれたフランク王国に対してローマ教会もかなり信頼するようになってきます。そして800年、カール大帝(フランス読みでシャルルマーニュ)という人が西ローマ帝国の皇帝の称号を手にしました。つまり、フランク王国の国王はローマ帝国公認のローマ皇帝と名乗ることができるようになったのです。

このことによってフランク王国はヨーロッパ世界において圧倒的な力を持つようになります。フランク王国はのちに東西南に分裂してしまうのですが、それが現在のフランス、ドイツ、イタリアのルーツになっていると言われています。

ノルマンコンクェスト

こうしてヨーロッパ地方にはゲルマン人が住み着いて国を作っていきました。しかし西暦1000年ぜんごの世界では、ゲルマン人たちを脅かす出来事が起き始めます。それはノルマンコンクェストと呼ばれるノルマン人のヨーロッパ侵入です。ノルマン人は元々スウェーデンとかのスカンディナヴィア半島、バルト海地方に住んでいたゲルマン人の一派なのですが、めちゃめちゃ強い民族でした。彼らの代表的な呼び名はヴァイキングです。ノルマン人はヴァイキング船という縦長と細い船を乗りこなして川でもなんでも乗りこなして内陸の方まで移動する戦術を持っていました。

ノルマン人は現在のフランスの上の方から川を上って侵略してきて、ノルマンディー公国という国家を樹立しました。彼らはフランス語を話しキリスト教を信仰し現地にうまく溶け込んで生活しました。ノルマン人特有の強気で頑固な性格もあってかノルマンディー公国はヨーロッパで最も強い封建国家を作り上げました。

そんなある日、ノルマンディー公ウィリアムという人がアングロサクソン人たちがくらすイングランドに侵攻しました。これによってアングロサクソン人たちの国は滅ぼされ、イギリスにノルマン朝という強力な王権が誕生しました。ノルマン朝は現在のイギリス王朝にもつながるとても強大な権力を持っていました。

こうしてゲルマン人が侵入してきたヨーロッパに、ノルマン人というプレーヤーが入ってきました。

影響

ゲルマン人やノルマン人がヨーロッパに入ってきたその後の世界における影響を分析します。

まず、ゲルマン人がヨーロッパに入ってきたことでグダグダだった西ローマ帝国が終了したことが挙げられます。ゲルマン人がこのタイミングでヨーロッパに侵入していなかったとすると、ヨーロッパ地方は衰退した西ローマ帝国が守ることになり、イスラム教国家の侵入に耐えられなかったでしょう。(フランク王国がトゥールポワティエで勝っている) つまり、ゲルマン人がヨーロッパに侵入しなかったとすると、現在のヨーロッパ地方はイスラム教の国家が乱立していたかもしれません。現在の結果が良いものなのか悪いものなのかは分かりませんが、少なくとも今の世界の構造にはなっていないでしょう。

またノルマン人の侵入によって、ヨーロッパのゲルマン人国家が強い封建制を導入していくというのも、後の絶対王政や国民国家などにつながる中央の強大な権力の存在を彷彿とさせる出来事でした。

ゲルマン人の大移動からの中世ヨーロッパの歴史は、その後の歴史を大きく変える礎になっている重要な出来事であると言えます。

まとめ

以上がゲルマン人の大移動からノルマンコンクェストまでのざっくりとした中世ヨーロッパ世界の内容です。この時代は様々なプレーヤーが乱立して権力を奪い合うごちゃごちゃした感じがあります。やはり歴史は動きがあると面白いですよね!

次回は同じように忙しない時代を扱います!今度は東方のバトル、中国統一をかけて7つの国がしのぎを削ったアジア最強の戦国時代!

春秋戦国時代について書きたいと思います!

それではまた記事を読んでみてください!

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「お金をかけないサバイバル術」に関する記事を書きます。証券アナリスト資格(CCMA)を持っています。Ethereum信者です。温泉と餃子とv系バンドが好きです。プログラミングが得意です。趣味はメルカリです。好きな言葉は「最小構成」