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目指せ世界帝国!貿易大戦争「大航海時代」とは?

今回は大航海時代について書きたいと思います。「大航海時代」という言葉は非常に有名ですので、皆さんもどこかで一度は聞いたことはあるのではないでしょうか?

今回はこの大航海時代がいったいなんなのか?という基本的な疑問を解消したいと思います。

東西交易

モンゴル帝国

大航海時代は、主に14世紀から16世紀のことを言います。14世紀、ユーラシア大陸の多くはモンゴル帝国という大帝国に支配されていました。モンゴル帝国はモンゴルの騎馬民族であるチンギスハンが建国した国ですが、彼らは中国の都を攻め落としたので、元という名称の中国王朝でもありました。

モンゴル帝国は強大な軍事力を有していたので、帝国の存在は当然ヨーロッパにも伝わります。そこで、ヨーロッパ人の中に元の王都(大都)を調べに行った人がいました。それがマルコポーロです。マルコポーロは東方見聞録という中国に行った際の情報を書き残し、ヨーロッパ世界に中国の様子を伝えました。

十字軍

マルコポーロがなぜこのようにして中国に赴くことができたのかというとすでにヨーロッパ世界と中華をつなぐ陸の交易網が存在していたからです。

ヨーロッパ地方はもともとそこまで豊かな土地ではなかったので、古代ローマ時代からアジアとの交易は必須でした。ビザンツ帝国はこのアジア貿易によって繁栄したと言われています。

そんな中、中世の時代に十字軍という出来事が起きました。十字軍とは西ヨーロッパのキリスト教徒たちが中東のイスラム教国家から聖地エルサレムを奪還することを目的に遠征を行った一連の事件のことを言います。結果的に十字軍は何度もおこなられたにもかかわらず、現地で作った国家が上手くいかなかったり、単に追い返されたりして失敗しました。

しかし、この十字軍によって貿易やビジネスの面でヨーロッパ世界は東のアジア世界とより交流を持つことになります。

これが後に活発な東西交易へと発展していきました。

海路の探索

オスマン帝国

15世紀、世界帝国であったモンゴル帝国が滅亡すると同時期にヨーロッパの大国ビザンツ帝国がオスマン朝トルコというイスラムの王朝に滅ぼされました。オスマン帝国は陸路の東西貿易においてヨーロッパと東アジアの中間に位置し、貿易に高い関税をかけることでヨーロッパが東アジアと貿易をし辛い状況を作っていました。

オスマン帝国によって陸路の貿易網が独占されている状況において、ヨーロッパの国々は新たなアジアとの貿易ルートの構築を考え始めます。

西の辺境

ヨーロッパ地方がオスマン帝国に依存しない新たな貿易網の構築を考え始めた時、まずはじめに動いたのは、ヨーロッパの西の端っこに位置するスペインとポルトガルでした。スペインとポルトガルはヨーロッパ地方の中でもアジアから最も離れた大西洋側にあったため、ヨーロッパの中でも陸路の貿易が最も厳しい国でした。実際この時代は、陸路による東西交易はほとんどヴェネツィアの商人に独占されていて、大西洋側のジェノヴァ商人たちは何もできない状態でした。

そこで彼らは新たな貿易網の案として海路を使おうと考えます。海路であれば大西洋に一番面している自分たちが優位に立てると考えたからです。

航海の発展

この時代は、イスラム世界から羅針盤などの道具がヨーロッパに伝わり、船を作る技術も発展してきていたので、長距離を移動する船を作って航海を行うことができました。しかし、疫病や事故により死ぬリスクは依然高いままであり、船に乗ることは命がけでした。

そんな状況の中、ポルトガルのエンリケ航海王子という人は果敢に海に乗り出していき、1488年、ついにバルトロメウ・ディアスという人がアフリカの先端喜望峰まで到達することができました。1497年、ヴァスコ・ダ・ガマという人はインドまで海を通って直接いく計画を実行するためリスボンの港を旅立ち、実際にインドのカリカットに到着しました。これにより、東西交易の重要地点であるインドとの交易が海路によって成功することがわかりました。

こうして海路を使った東西貿易が始まり、西の辺境地であったリスボンの港は新たな貿易の拠点となりました。

アメリカ大陸

同じ頃、ヴァスコ・ダ・ガマのインド到着に習ってインドへ行く旅を計画している男がいました。それがあの有名なコロンブスです。コロンブスはアメリカ大陸を発見した人で有名ですが、彼は最初からアメリカを目指していたのではありませんでした。そもそもアメリカ大陸があるのかどうかもわからない時代です。

コロンブスは、インドに向けて出発しましたが途中で迷いました。それでも進んで行くうちにようやく陸地を見つけて上陸しました。コロンブスは「あー迷ったけど、結局インドに着いた!俺すごい!」とおそらく思っていたのでしょうが、彼が上陸した土地は全然インドではありませんでした。なんとそこはアメリカ大陸だったのです!

コロンブスはあろうことかインドに行くつもりが新大陸を発見してしまったのです。彼がアメリカ大陸を発見してからというものの、レコンキスタドールと呼ばれるスペイン人たちがアメリカ大陸の先住民を排除して侵略を始めました。

大航海時代

世界帝国

新大陸を侵略して植民地を広げ、海路の貿易を今度は独占するようになったスペイン・ポルトガルは文字通りの世界帝国となっていました。マゼランによる世界一周が成功したこともあり地球の形が判明していった時代、地球の殆どの場所はスペイン・ポルトガルの植民地となり、当時スペインを支配していたハプスブルク家のカルロス1世(オーストリアではカール5世)の時には太陽の沈まない国とも言われるほどになりました。

第2波

海路の貿易網構築のために始まった大航海時代は、スペイン・ポルトガルの大勝利でした。しかし、同時期に国内の絶対王権を安定させることに勤めていたイギリスフランス、高い造船技術や港町を持つ新興の海洋国家オランダもこれから海に乗り出そうとしていました。

一方その頃、先に支配を拡大していたスペインとポルトガルは急速に領土を拡大させたことにより、全領土の支配が困難になって衰退し始めました。イギリスやオランダと言った後発国は、スペインとポルトガルが急速に領土を拡大させて没落したことから学習して堅実に支配を広げていきました。

香辛料戦争

東西交易の主要な商品として、香辛料が挙げられます。香辛料は故障とかシナモンなどのスパイスのことで、食肉の保存や料理の味付けと言った用途で使われていました。これらはアジアでしか生産できないものが多かったため、ヨーロッパでは非常に高い価値を持っていて高値で取引されていました。これに目をつけた各国の商人は、アジアでスパイスを安く仕入れてヨーロッパで高く売りさばくビジネスを行います。

当時、スパイスの重要な生産地であった東南アジアはポルトガルに支配されていました。しかし、ゴアやマカオといったポルトガルの拠点を香港やバタヴィアなどの新興国の拠点が包囲し始め、ついにスパイスの生産地インドネシアをオランダが支配するようになり、ポルトガルはスパイス貿易から締め出されました。

オランダ帝国

こうして、スペインとポルトガルは繁栄を終え、新たな世界帝国はオランダになりました。オランダは高い航海技術に加え、航海を行う際に現在の資本主義にも存在する方法を導入しました。

それが株式会社です。株式会社とは大勢の投資家から出資を募り、出資した金額に応じで会社の所有権と配当を受け取る権利がもらえる仕組みです。これにより大きなリスクの伴う航海ビジネスにおいて、一人当たりのリスクを減少させることに成功しました。

また個人投資家も少額で出資が可能になったことと、新大陸から大量の金銀がもたらされたことにより、オランダの首都アムステルダムは世界随一の金融都市になりました。

イギリス帝国

大航海時代第2の勝者はオランダでした。しかし、大航海時代の最期の勝者はイギリスになります。ポルトガルを一掃した後の東南アジアではオランダとイギリスが争っていました。そんな中、スパイスの名産地でありオランダ領東インド(現インドネシア)のモルッカ諸島において、オランダ人がイギリス人を殺しまくるというアンボイナ事件が起きました。これによって東南アジアはオランダの独り占めになります。

これに切れたイギリスは、オランダをどうにかして倒したいと考え始めます。そして、オランダが新大陸アメリカに持っていた植民地ニューネーデルラントを侵略して、ニューヨークというイギリスの植民地に変えます。イギリスはオランダに勝つためにありったけの力を注いで海軍を強くしようと試みました。(オランダとの戦いはいつも海だから)その結果、世界最強の海軍力を手に入れたイギリスが海の覇者となり、最終的な大航海時代の勝者となりました。

まとめ

内容を簡単にまとめると、

  1. 陸の貿易が難しくなる
  2. 海の貿易に進出する
  3. スペイン・ポルトガルの繁栄 ~16c
  4. オランダの繁栄 17c
  5. イギリス帝国 18c

という感じです!

大航海時代をどこまでどこまでと定義するのは難しいですが、大航海時代を経ることによって、それまでの世界のスケールが格段に大きくなりました。そう考えてみると現在のグローバル資本主義にもつながっているのかもしれませんね。

次回は絶対王政の覇者、ヨーロッパ最強の王族、「ハプスブルク家」の歴史について書きたいと思います!ぜひ読んでみてください!

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お金をかけないサバイバル術の記事を書きます。温泉と餃子が好きです。プログラミングが得意です。趣味はメルカリです。